中国は今の米国の混乱をじっと見ている。 勿論ウクライナ疑惑がどうしたの動きはどうせ中国が大きく関与しているだろう。 わたしの見え方からしたら中国とウクライナは兵器の製造開発供給のラインで切っても切れない間柄ととる。

そして中国はわかりやすい程に力の信奉者だ。 だから、弱い勢力とは基本交渉はしない。 なので今この時点、そしてもう少し経過してからの米国の、特にトランプ大統領が死に体( レイムダック) になるかどうかを見極めるのだろう。

しかしそうしている間においても、中国の実体経済は壊死し続けていく。 今の中国共産党指導層は、中国の国体が一時的に改革開放前まで戻っても致し方ないというふうにどうやら腹をくくったようだ。 つまりそれだけ国民の間から出てくる不満を硬軟取り混ぜて抑え込めると判断したという事になる。

米国も中国もお互いの国家のサイズを削りあいながら、その自尊心の維持に努める。 だが、人類にとってどちらがより 悪ではないか という事を考えると、独裁と同化と併呑と従属と隷属を空気の様に求める中国のほうが悪だ。 それは固定化された収入格差、確定されようとしている新しい王侯貴族とでも言える勢力の世代の積み重ねが現出されてきている米国によりも、少なくとも直近における悪とは中国共産党になる。

だから米国の内部において再び、自分たちの国家体制を根幹から侵蝕破壊浸透工作を今の時代でも行っているのはこの共産主義思想の連中であり、それはかつて自分たちの戦ったナチスドイツの独裁勢力と同じかまたはそれよりもひどいものではないかという理解が、米国の左右の領域で起きているのはこれは自然なことだ。

人類はいずれはこれらの両方からも抜けて全く新しい何かを構築していくのだろう。 しかしそれはどうせわたしの生きている間のことではない。 わたしは、そして貴方は、何もつかめず何にもなれず、どこにも行けず、ましてや覚醒とやらもこの世界からの脱出とやらも 全く当然出来ず( 最初からその様に決めてここに出てきていることを思い出す事だ) 、しかしこの世界を変える為に( 自分を変える為に) ここにいるのだ。

今ある環境を真剣に見つめないものに 先やら未来やら はない。 そもそもそんなものはない。 今だけだ。

トランプ大統領に対する謀略弾劾公聴会において、米国の国民の支持率が開始されたときの46%から開始から50%に上がっているということの意味を真面目に考える事だ。 我々は、米国民は、人類は、

もう、騙されるのは嫌だと強く怒っている。 強く。

そういう事の全ては先ずコトバから入る。 外から勝手に入ってくるコトバがそれを為す。 コトバはこの世界を構成するたった一つの点としか接続されていない。 そんなもので地球の全てを表現できるわけがない。 そういう当たり前の事からすっかり遠ざけられていたのが我々人類であり、そして今中国なるものを名乗っている存在は、そしてその従属変数属国領域は( 眷属は) 、それを使って人類を篭絡支配してきた勢力である自動機械システムの一端なのだという理解を貴方はそろそろどうしても持たなければならない。

ーーー

米中の対立構造は、中国共産党が崩壊するまでやるとペンス副大統領が去年の段階で言った。 その通りに彼ら勢力は動く。 仮にトランプ大統領がその座を去っても、次に立つ人物は恐らくトランプ大統領よりも過激なキャラになる可能性が高い。 中国共産党は、地球における白人勢力の内部の芯である、キリスト教を去年の段階で眷属の南北朝鮮を使って棄損しすぎた。 この事は時間差を置いて今、相当の、彼ら共産党とその眷属にとっての悪影響として跳ね返る。 南米と東欧のキリスト教国家の無条件の賛同を得られなくなっている実態を知れば、彼らはやり過ぎで自滅を呼び寄せたという言い方も出来る。

だからそれまでキリスト教圏の一員を偽装することでこれらの領域から利益を引っ張ってきた韓国も、今ではこれを大きな意味で支援してくれるキリスト教国家はいない。 目に見えないこうした力が退いていったその流れの中で更に、目に見える力としての日米がこれからあの領域から去る。 彼ら韓国は北朝鮮の核兵器に事大すると相当前に言ったが( その手法を従属か奪還かは別として) 、彼らの脳内の勝手な理想主義、本来の国家の力を見つめない所から勝手に下された結論が、これから彼らの国家領域を消滅に導く。

仮に大韓民国という名称の国家が残っても、それは困窮する貧しい地域としてだ。 そして中国も、今の傲慢=自尊心の過熱回転の状況を続けるというのなら、彼らが押し隠す実体経済の溶解と( 瓦解と) 、人口の消滅とでも言える動きによって、あれらの地域を国家として名乗ることが困難になる。 それも20年と待たないうちに。 

そういう事の非常に驚愕すべき攪拌が、人類世界の水面下で起きている。 それをつかみ取れ。

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韓国の国家が急速に北朝鮮的な独裁国家に変身していく流れの中で、香港で起きている様な動きが発生することはあり得る。 ただその場合、韓国においては簡単に人々を戦車でひき殺すのではないかとわたしは捉える。 見方によっては中国よりも人間に値段がついていない地域に見えるからだ。

いずれにせよ、独裁を旨とした設定条項を潜在意識に大きく刻み込んでしまった勢力は、これまでのやりたい放題の流れから一転、追い込まれるターンに移る。 しかし彼らもバカではないので勿論抵抗する。 その中で大きくテロが仕掛けられる。

一番簡単なのは火災などの形だ。 日本における重要文化財で火災が頻繁し、そのあとで政府専用機の火災、そして今日付けの経産省の地下駐車場での火災だ。

これをテロと即座に理解できる貴方に変わっていかなければこの先は本当に生き残るが難しいのだ。 だからしつこくわたしはこうした概念を言うのです。


20191120


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追跡しているのか逃げているのか

オーム宇宙を含める、沢山の小宇宙を( 小といっても、直径数百兆光年とかのサイズだが) 含んでいる大宇宙を、何も動きが無かった水面に突如として現れた大きな波紋の一つだと捉える。 波紋というからにはそれに動きがあるのであり、動きがあるのだから、そこからは存在が勝手に生まれてくる。

その存在が小宇宙であり、その一つがオーム宇宙だ。 本当はこれらは大宇宙という領域を設定した内部に一体としてあるものであり、分ける事そのものが実はナンセンスなのだが、取り敢えず分ける。

波の進行方向の前の部分は、ドップラー効果に見られるように、エネルギー密度が高くなっている。 だからこの部分の振動で形成されう各種小宇宙はエネルギーの値が最初から大きく、最初から沢山の選択肢を持ち、最初から賢い。

しかし恐らく我々のレベルを見る限り、オーム宇宙は恐らくは頭の悪い方の宇宙であり、それは大宇宙の後ろ側、黙っていたらそのまま平静な水面に今にも戻ってしまおうとしている最後部に近い所にあるのだろうと私は勝手に言った。

我々は撤退戦におけるしんがり( 最後尾にいて、追撃する敵と戦いながら逃げる。 そして時間をかせいで本体の頭、大将を逃がす役割の部隊) だとこれまた勝手にいった。 しかしだからといってオーム宇宙が偉いだとかそういう表現は使わない。 たまたまそこにあった。 そんな程度のものだ。 この宇宙はダイナミックである。 だから「 誰がやっても大体同じ結果を出せるようにキチンと全体が整備されている」 のだ。 特定のキャラでしか大きな仕事が出来ないという設定が基本だったら、それら特定キャラが居なくなったら仕事がすすまない。

そういう設定の仕事もあっただろうが、基本的には誰がやってもいいように出来ている。 それは、上の視点からしたら、その魂の外側にへばりついている外装としてのエゴを見ているのではなく、魂そのもののエネルギーの保有値だとか、エネルギーの流動係数だとか、そういう部分を見ているからだ。 似たようなものは沢山あるのだ。 実験室のネズミの個体に名前をつけて珍重するようなやり方はしない。

存在とは止まっていたら消えてしまう。 少なくともこのオーム宇宙においては、実存の情報を受けて、魂魄体が振動することによって形となって出てくる設定になっている以上、動的状態の継続維持が、存在というものの基本構造の一つにある。 だから他の宇宙が形を表すというテーマを持っていないかもしれないにせよ、それら何かの表現で変化を表すという事が内包されているだろうから、それが光の明滅だとか光量だとか、音の大きさだとか高低だろうがいろいろあるだろうがそれらは基本「 変化=動き」 によっておそらくはなされる。

他の宇宙も動いている。 だから大宇宙はそうした動きの中に自分を維持させていると私は今は捉える。 だから波は進む。 進まなければ動きを表現出来ない。 そしてその動きは一見攻め込んでいる風にも見えるがしかし、背後から物凄い勢いで迫ってくる鎮静、平静、停止、無、などのイメージで語られる、動きと真逆のものから逃げている風にも思える。

これを波と言えば波になるし、空間における粗密の情報がひたすら伝わり続けるといったらそれもそうなる。 そして大宇宙Aの後に、例えば30分位遅れて大宇宙Bが後を追いかけているかもしれない。

しかし本当の世界とは時間と距離の制約制限はないので( それを求めたらそれは現れる) この位相がずれた大宇宙Aと大宇宙Bを、完全に重ね合わせて合致させて表現することもおそらくは出来る。 だから私は動いている大宇宙とかと前で言ったが、動くというのは移動するという距離と時間経過にも関わる概念でもあるのだから( キロメートルアワー・km/h と言うでしょう) 、そんな動きは実はない、と決めてしまったらそれはないことになる。

この辺の捉え方、考え方の回し方がつまり、実存成るものに対しての否定構文でなければそれを表現出来ない( 本当は表現はしていないのだが) という事の説明の一端に、端っこに繋がる考え方なのかなぁ、と私は漠然と考えている。
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