ナワールという領域を 言語にできない 精神世界的な潜在意識の領域と勝手に読み替えることは可能だと判断します

そして トナールという対になる言葉は その上層領域から降りてきた人間の意図

何かの意図 精神が人間の脳の中で それぞれの国の言語に 変換されて認識されていると勝手に決めることができます

しかしそれは末端の観測者である 私はあなたは 勝手に そう決めているだけだと決定することもできる

思いが全てということはそのように思ったらそのようになるという実にいい加減な 無責任な言葉ですがその それなのです

だがそれは自分が思っているというのではなくラジオの同調装置のダイヤル やつまみのように どこかの周波数帯域に合わせているだけという見方も確かにあります

ではその誰がダイヤルを回しているのかになる

結局のところ それを 集合 点の移動という言葉でまた勝手に表現することはできます ごまかすということもできるでしょう

人間は結局わからずに外から入ってきている単語の蓄積を組み替えて外に出して分かっているつもりになっているにすぎません

しかし 基本的に人間というものは体験を通じて しかおそらくわかるということができないようになっているシステムです

それほど エネルギーが少なく 演繹 演算のレベルの低いものだという解釈を私は します

しかし こうした全体構造も 例えば強制的に 私と決める座標が もっとエネルギーのレベルの高い

例えば コンピューターで行ったら CPU が変更された場合 自分がなぜそのような 賢い 状態に移動してしまったかということすら考えることも全くなく

以前の 古臭い CPU の時にはできなかったことをすらすらと当たり前にやっていることになる

高められた意識 ドンファンが言っていたような もう一つの意識という概念があったと思います

私は単語を忘れてしまったが 一時的に CPU のクロックアップするという考え方でもいいかもしれないのです

大昔 アルジャーノンに花束を という小説がありました その中で 例えば少しずつ 頭が良くなっていく キャラクターの設定

それを 読者の我々は外側から観測者として 鑑賞者として見ているという構造があります

それを自分自身にあっという間に適用されたらどうなるかということ 高められた意識のことですね しかしこのような概念を人々は考えないのです

日常生活に本当に忙しいからです

レベルが高くなると その 忙しい日常生活の中にも これらの概念を考えることができるようになる

マルチタスクになる

CPU というのは一つのことしか 基本的にはできませんが GPU グラフィックに関わる訴訟はマルチタスク が基本的にはできます

そういうことが同時に課題 問題解決として走らせることができるようになり なおかつ それを実現するための肉体の行動力の選択肢が増える

進化 分岐 遺伝子がオンになるというのは基本的にそのようなレベルで考えておいた方が分かりやすいと思われます

もちろん それは私が勝手に決めているだけであって独り言です 分からないのです

我々は孤絶拒絶された 自分自身で作った認識の牢屋の中に立った一人でいる存在です

太陽系 シールドの中にたった一つだけある太陽系という概念と同じであります

相似フラクタルというものがどこまでも広がっているということは 人間の存在 座標の点 座標点 そのものにもそれが広がっている

また同様に人間が集まっている座標の点が帯になっているかのような座標帯においても それがあると私は一旦 勝手に 仮定します

こんなこともわからないのです 私は見てきたわけでも体験したわけでもないのだから

支配とコントロールという構造があることで このエネルギーのレベルのあまりにも低い 領域が流動性の発生が始まったとみなすこともできます

つまり取るものと取られるもの という構造というのはベルトコンベアにおける上流と下流の存在そのものであって取られる側は喜んで上流の取る側に渡している

しかしそれを遠くから見ると物資がエネルギーが下から上に向かって 結局は流れているのです

因子というものがいなくても 誰がこのような構造を作ったでしょう みんなは 穏やかでワイワイと和気あいあいとやっているような状態であった場合に

このエネルギーの流れというものはおそらく 細く小さく 緩やかなのです と 私は一旦 決めます

だがそれでは地球という領域から数多くのエネルギーを搾取 採掘 しようとする 単行業者 石油採掘業者の宇宙人からすれば効率が悪いのです

我々の人間の世界には合理性 ラチオ レイシオ という言葉があります

少ない投資で莫大な利益を上げるという意味です 株式市場などにも これは当然あります

あれもまた 宇宙におけるあらゆるシステムにおける フラクタルの形 持ち込まれたものだと捉えなくてはいけない 人間など何一つ自分で考えることはできないのです

外の世界にあったもの 基本的に この地球上に持ってきて ミニチュアな形で再現しているにすぎない

もちろん こんなことは基本的に私が勝手に思い込んでいるだけのことです

しかしこれらの構造を文章構造を展開するとどうしても現行の権力者や権力者 共同謀議の領域に話は一旦 移動させなければ

比喩的な概念としても見ている人 よんでいる人に伝えることが おそらく できません

だからおそらくそういうことの言葉の文章のブロックの展開をしなければならないのですが 精神世界 と呼ばれている領域における人たちは善良な人=バカ

これが多いと私は見ているので このやり方もおそらくは通じていないでしょう

もちろん私もバカで愚か者でエゴの塊なのです みんなそうなのです

そういうことを全て明らかにして基本的には議論 討議 もどきをおそらくはそこでするべきなのですが

彼らの領域で行われていることは私の見え方からすると中心にいる王様に自分を認めてください とやっている 認証式なのです

または 王様に自分に職業を与えてください とやっている 猟官運動 なのです

街角でピアノを弾いて周りをチラチラと見ている YouTuber と何も変わらない

これは私の決めつけであり 彼らからすると とてつもない 反発を招く言葉です 私はそれが分かっていると言葉を投げつけます

しかし あそこにたくさん集まってる ウッドマン達は木の人々は こういった私の概念を 異物 許されざる者として潜在意識として認識する

と 私はこれまた勝手に決めている

支配とコントロールという設定がなければ流動性が発生せず

流動性 という動きがなければ存在というものを維持する振動というものが維持できない状態 構造

この設定が この地球だと一旦決めた時に この地球における支配とコントロールは必須なものだと決めることができます

それは地球という惑星 自身が自ら振動していなかったからとこのように決定できる

ところが 地球自身が自らの意思を表したということは自らこの振動発生し始めたというこの概念を持つことが可能だ

その振動のためのエネルギーを宇宙との回路を開くことによって取り入れ始めた 宇宙とのつながり始めたと見ることができます

その結果 地球における天変地異と言われる現象が人間にはそのようにしか認識できませんが

それが始まったと決めつけることもできるのです

つまり 地球自身が自ら 宇宙とつながることによって存在のためのシステムを起動させたということはそこに人間はいらないのです

この大きな考え方はあれらの人々はやりません

自分が特別だと思っているから ウッドマン たちは王に従えば自分たちは安全だというこの考えを捨てない

その限りにおいては基本的には全ていらないものとして処理されると 私は見えます

と言っても 私自身が ウッドマンの仲間 かもしれないので偉そうなことを言いながら

俺もそうかもしれない な と 自分を投げやりになってみる 視点 ももちろん持つようにしています

支配とコントロールというものがあるからこそ そこに早いエネルギーの流動性を発生させることができて

つまりそれは単位体積あたりのエネルギーの数字が高いということであり その状況を作れたからこそ 愚かな魂の振動状態である 宇宙人の魂たちが

やっとのことで人間の肉体の中に定着することが可能であったと勝手に考えることはできるのです

しかしこれらの考え方というのは支配とコントロール こそが限定された領域における存在である

存在がそこにあるとするためには支配とコントロールというエネルギーの流動性 のシステムを入れなければならないという冷酷な事実 これまた勝手に決めます

存在のために必要なものは この支配とコントロールだけではおそらくないのです

我々の世界というのは間違いなくレベルの低い 振動状態と

レベルの低い 領域にあるのだ

と一旦決めた時に レベルの高い状態における情報伝達のやり取り

情報 パケットの移動とでも言えるものは何なのかとたまに考える しかし もちろん それは正解ではないのです

じゃあ 考える 考え 続けるということを通じて

それは無駄かもしれないが 真実に向かって歩むという自分をイメージすることが たまにはできます

そのイメージを持たなければおそらく移動することはかなわないと私は勝手に設定する

それぞれの設定は それぞれの考えれば良いことです 印紙 度合い

限定されている私という設定状態 それが 目撃 観測 計測できる状態

このように決めることすらできる

しかしこの私という言葉を弄んでいると それは にさるが だったいうところの私の概念とおそらく 大きく外れたものになる

しかしそれは人間 目線で そのように見て そのように判断しているだけに過ぎないわたし 狭い 愚かな結論かもしれない

陥没現象のことは何とも言えませんが 南海トラフ を含める巨大な地震が本当におきる可能性は高まっている

という 推測をします 科学的検知から京都大学 物理学教授の話より以前しました

が おそらくは起きるのだろうというこの立場に私はある

2030年を中心として 前後 5年 内部で起きるのだ つまり 今年から10年内に起きるのだという情報が彼らの 計測 予測からも出ている

繰り返しますが 陥没 現象

起きるかもしれないけど起きないかもしれない

起きなかった場合におけるそれを起こすために用意されていたエネルギーは地震の形になって帰結するかもしれない

現れるかもしれない問題はそこに集まっているエネルギーの質と量であり それをどのような形で仕事をさせるのか 消化させるのかであり

必ず こうなるのだという そのイメージというものは まさにそうしたいからそうなるのだという これでしかないと私に勝手に言います

思いが全てということはそういうことだと決めることです

納得をするというのは決めるということなのです もちろんこれは勝手に言います

人は愚かな海の中で 昔の偉い人とやらの本を読んでも

神社を巡っても 霊能力を持っているとやらの整体師に体をいじってもらっても

自分なるものが、自分なるものと任ずるものが変わるということはありません

自分なるものというものが本当にあるかどうかも疑わしい とここまで 思わなくてはいけないが

しかし エネルギーがないからエネルギーがあってもそのようなことは考えない

自分自身の心が掴まれているのだという理解がないから

理解がある ないということを そのものを含めて自分なるものが 切り取られた 限定空間の中にある1点の座標である考えをとりあえずは持つ

人間は 粒子的な 固的な粒的な存在ではなく 存在確率の雲として捉えた場合において

その中心点 中心の書くと言われている領域がどこと 接続しているか 同調

同じような振動波形を持っているかによって認識の位置が変わる

そのことを思って私

と勝手に規定しているが

そうした振動状態から微妙に外れたところにも私はある

あまねく 存在するエネルギーの量が 振動の波形の幅が それらを決定する

どこを見ているのか

ではそのどこを見ているのかという外側に設定した観測者である 観照者である私とは何なのか

そうなると私 なるものはどこにいるのか 私とは何か

私とは 全体なる領域の一部の領域にさらなる 遠くから遠方から それを見ると設定する

私がその部分で起きていること を イマジネーションのもとに たった今 クリエイトしているだけの状態かもしれない

存在と消滅が同時に起きているというこの概念を私は言ったが

同時に という考え方 そのものも 私なるものが作っていると決める

私なるものがない 何もない 形もない そのような状況にも意志がある そこにも私があると決めた時に

どうしても それらの受け答えの意志の受け答えの外側というもの領域のあちら側 というものを設定しなければ

これらの問答の全体構造が発生 維持できないのだろうと私は何となく考える

しかしこのようなことは 私が 狂人 狂っていて 勝手に 今考えたことであってあなたは影響を受けることがありません

もちろん そこまでの愚かな人ではないでしょう 私はただ 下品なことを言ってただ日々を過ごすだけです

私の色々な発信の中から何かを読み取れるような力を持つ人がいればいいが どうせそんなものはいない

そして自らのエゴを守る人は 私のような情報発信にそもそも近寄ることはできない

それは特別なる 優秀なる 選ばれたる自分

それなるものが攻撃されているように感じるから消滅するように感じるから

彼らは一体 安定、しかしコントロールされた、を求める

ウッドマン たち は 葉緑素 の性質のもとに 一体化することを求める しかしその一体化というものが 曲者で

それこそ 彼の中から出た という設定の

気づいてしまったものはただ一人の

気づいてしまったものは一体化しようということ 自分の同胞であるウッドマン達の その意図の意味に気づいた

一体化したらそれがまるごと食われてしまうという

これは効率が良いから

このような考え方を持つこともできます だから彼は分割自我という概念をモデルをあえて出した

このように見ることもできる

これは確か 過去にeo と呼ばれる 座標がそのような概念を外に出した

それを見た信者がかなりいるのだろうが 今でも私は興味がないのであれらの言葉の概念の意味を共感を持って見ることができない

葉緑素は 植物における概念において2 重の隔壁がなぜ作られているかということの説明

それがあるということの意味

一つ一つが弱いと任じられているので決めているので巨大な集まりになって自らを守ろうとする

アメーバのような性質を持っている 持たされてしまった

それらの概念を そのように考えることは可能です ウッドマン達はというのは

このように見える

イルプロラシオンの連中をそのように 私は見ることが可能だ

彼らはそして私自身もそうなのだろうが 自分自身を突き放して冷酷に見るということができない

それをしない 自分自身がクズであるということを 科学的視点で持ってやらない

しかしそれをやらなければ そこからスタートしなければおそらく 何も始まらない

はじめの一歩というものは自分で踏み出さなければどうにも始まらない

誰が助けてくれる誰が認めてくれるという人間は即座に

誰が悪いとやる そのような人間は簡単に 尊敬語 丁寧語 謙譲語 など 乱用して自分自身の責任を放棄する

腐ったカビの生えた どうしようもない 復讐の漂う 文章や言葉遣いや表現をする人々

芸能人や色々 各種を見たでしょう 見たことがあるでしょう

それらは 台本の通りにやっているようなものたち なのですが

だがそれは意思伝達における内容

を見たら 1/10 で済むこと 100倍にも200倍にも膨らませている状態だ

そして それは嘘をついている状態というのと同義だ

そのような存在 座標点というものは地球と交わした約束に送る幸せになります という約束 すら嘘をついてごまかすだろう

他人から他者から何かを奪い続けるだろう

その他者の幸せを奪うということが他者の幸せになりますということを破壊すること それであっても奪うだろう

ブッダはそのような支配とコントロールという全体設定を

奪う という設定を施さなければ存在の振動状態を発生することができないこの地球

オーム 宇宙領域というものに対しての悲しみをどれだけでも持っていた

が とりあえず彼はさった

確か 去ったという伝達があったと思います

彼は次の宇宙に向かったのかもしれないしそうではないのかもしれない 分からない

我々人間とはどこまでも救われない存在ではあるが

変わりたいという強いが思いがあれば おそらくはマンに一つの可能性として それはあると私は決める

それはおもねりや 献上や尊敬や 丁寧な言葉の言語の 大量発射の中にはない

そのようなものに中にある振動波形のパターンの中にはないと決めることは可能です

私に重要なものなど何もない

私はただのクズだ 繰り返すが 下品なことだけ を言っているだけのクズだ

あらゆるものの中にそれぞれの人々の中における答えが とりあえずはある

だがその答えを見つけ出すことができるかどうか というのは 観測者の問題だ

観測者にどれだけのエネルギーとどれだけの 精密な 探査の針

そうしたものがあるのか そしてそれを使おうとする意志があるのか

そういうものの 全体構造によって 真実なるもの これは一定的ではあるがそこで アクセスすることが 接続することが同調することが可能だと可能かもしれないと一旦は決める

基本的に あなた 私にまとわりついていると捉えるがおかしな人だなあとこれも 付け加えておく

が 他にも何人かいるけれど そういうことの全体構造の意味だとか 色々考えてみれば面白いかもしれない

だがそれを特別な何かだとか運命だとか 縁だとか

くだらない 腐った 喜怒哀楽の既存の常識における 慣用句で捉えないことです

私は精神世界なる領域における言葉 の くだらない 使われ方というものに辟易している

我々日本人は 造語という概念を

新しい言葉をきちんと作ってきちんと 流通 伝達させる そしてみんなでそれを使うということに長けている人々だ

それをやらなければならない

私は精神世界というものを 例えば 物質が固定されていない領域における物性理論などという形にたまに読み替える

それは存在の振動の状態からその計測 観測の状態の認識から入るアプローチだ

今の人類は 文系 崩れのやつしかいない

ところがガチガチの理系にも問題がある

計測 観測 絶対主義だ

そうしたもののバランスを取りながら 新しい概念を取らなくてはいけない 作らなくてはいけない

精神世界という概念がなければ生きていけないという考えは 思い込みでしかない

それはあるものとしてあるだけだ

私はそのように決める

ではよろしくごきげんよう

 
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