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2022・212土曜(令和四年)
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明日にでもロシアがウクライナを侵攻するかのような印象が語られている。 わたしは米国市場での金融商品のおかしな値動きが仕掛けられているのだろうなあと思っているが、専門ではないので上下動があったとしてもそれらの意味は分からない。

そして米国の中のネオコンだとか軍事産業複合体、そしてさらに最近明確にその存在が明らかになり実証されてしまったカバール、ディープスティト、悪魔教教団、とでもいえる人間集団が、現状の彼らの行き詰まりを打破するために今のロシアとウクライナの衝突を数年前から計画していたのだろうなあというのも含めて、彼らも慌てているのだろうと言う。 経済の崩落はいつ起きてもおかしくない。

確かに彼らはそれを意図的にしかけて発生させて今の世界の形を根本から変えようとしていたというのは分かる。 しかしそれはあくまで彼らにコントロールできる形になっていなければならないのである。 彼らの想定を超える崩壊を求めてはいない。 そういうものが迫りつつあるのだろう。 その理解にわたしはある。 なぜかっていうに、彼らが採用しているオカルト領域とでもいえるアドバイザー、神官や巫女の類が恐らくもう以前のようにまともに機能していないのだろうというのが彼らの首尾一貫した動きの全くなさに見て取れるからだ。

彼らは上とやらからの神託を相当に、今こそ求めているだろう。 だがそれらがだんだんと外れてしまってきていることに不安を抱いてもいるだろう。 しかし彼らの信じるのは、彼らですら信じて盲従しているのは 権威 なのだから、どうせどうなっていったとしても彼らは神託とやらに従っていく。

そこに本当の意味での合理性の追求はない。 そういう不完全なシステムは、必ずと言っていいほどどこかの時点で壊れていくものである。

ーー記事ここから テレビ朝日 212

アメリカの一部メディアは複数の政府関係者の話として、ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻をロシア軍に命じたと報じました。アメリカのPBSは複数のアメリカ政府関係者の話としてプーチン大統領が来週にもウクライナに侵攻することをロシア軍に命じたことをアメリカ政府が確認したと伝えました。PBSの報道によりますと、2日間程度の爆撃のあとに地上部隊による侵攻が行われ、最終的にはウクライナの今の政権の転覆と親ロシア政権の樹立が目標だとしています。また、CNNはアメリカ政府がウクライナに派遣しているアメリカ軍の顧問団と、首都キエフに残っているアメリカ大使館関係者の退避を検討していると伝えています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f75b7fd3444a98e4a0eb3c75ee6545986d2e541d

ーー記事ここから 共同 212

 【モスクワ共同】ロシア外務省のザハロワ情報局長は11日、ロシアが近くウクライナに侵攻する可能性があるとした米国の指摘について「挑発、デマであり脅しだ」と否定した。タス通信が伝えた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/53d6fa9f74d16da01b7af4aa29e951a24d59c52c
ーー記事ここまで

ロシアとウクライナの緊張なるものが人造的に高められている。関係各国が誰も戦争をしたくないと思っているのに、言葉のちからだけでそのような設定舞台に追い込むのだという勢力が暗躍している。 普通の常識で考えるのならそれはネオコンだとか軍事産業の連中だ、という言い方になる。 断定はできないが、過去の人類の戦争の背後には大体はそうした連中が隠れていた。 だからおそらくはそうだろう。

わたしが危惧するのは以前にも言ったと思うが「 特定の濃度の放射線領域、放射能汚染領域がこれからの地上に多々発生し、人類は相当に苦しめられる」 という情報伝達の実現、現象化にある。

もちろんそれは戦争なるものだけではなくて、天変地異による核施設の破壊からの暴露などもある。 更に天変地異による地球由来の自然放射能と言われるものの濃度の上昇、それもある。

しかし一番簡単にそれらが実現する、人為によってそれがなされると捉えた場合、それはどう考えても戦争行為からの何かだと判断してしまう。 核ミサイルが使われなくても、それらが核施設を破壊すれば結果は同じだ。

ーー記事ここから AFP時事 212

 ロシアのペスコフ大統領報道官は11日、緊迫するウクライナ情勢に絡み、プーチン大統領とバイデン米大統領の電話会談が12日に行われると明らかにした。 【図解】ウクライナ危機めぐる米ロの主張  ペスコフ氏の説明では「米側が要請した」という。ロシア通信などが伝えた。  ロシア軍は10万人規模の部隊を西部国境に集結させる中、ウクライナ北方のベラルーシでも3万人規模を投入して合同軍事演習を開始した。バイデン氏は11日、北大西洋条約機構(NATO)加盟国首脳とテレビ電話で連携を確認しており、プーチン氏との直接対話で制裁を警告するとともに、緊張回避を図りたい考えとみられる。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3460e402ffe95dac31446439c2762817881183cc
ーー記事ここまで

ウクライナ地域を廃墟にしてだれが特をするのか。 それは普通に考えれば米国の側の勢力。 ロシアの後背地の破壊と、中国の兵器供給地の破壊、こうした見え方をわたしはする。 しかしそれは自称ユダヤ人たちの心の祖国であるユダヤの古代国家があったとされるハザールなるものの破壊にもつながると思うのだがそれでもいいのだろうか、と一応いう。 それらの深いところの見え方はわたしはユダヤ教徒ではないのでわからない。

戦争を回避するべきが人類であるはずなのに、それを起こして自分なる座標だけが儲けるというのを仕掛けている奴らがいる。 実際にいる。 そういうものを見てこなかった人々がいる。 それらの勢力は自分が善良なるものだと勝手に決めて他人を裁いてばかりいた。 だが当たり前だが何も生み出してこなかった。

覚醒だとか新しい段階の人類だとかの座標に到達するまえに、目の前の汚物の領域をどうあっても踏み越えて前に進まなければいけないのだ。 その概念を持つことを拒否している。 きれいなままの状態で一足飛びに新しい世界に移動できるのだと勝手に夢想する座標が世界を語る。 彼らは世界分離主義者だ。 そういう言葉を勝手に投げつける。

今起きていることはもちろん全人類的なことであり、わたしも、そして彼ら競争から逃げてきただけの人々も例外ではない。 彼らは自分がそうした逃亡者である自分というものを正面から見つめようとしてこなかった。 が、もうそれは許されないだろう。 どうあってもそれを解消しなさいという力がこれから働くだろう。 わたしももちろん他人のことなんか言えないのだが。

核汚染されてしまった地域を浄化するかの情報がすでに伝達されてしまっているとわたしは風の噂でそれを聞く。 どういう概念化は知らない。 精神世界的な人々の一部の領域がそれを知っているということだが、彼らはそれを明かさない。

だからそれらの情報の全体構造そのものが騙しかもしれないし、そもそもそんなものはないのかもしれない。 だが、そうした情報伝達があったとするのなら、これからの 地球の人類の歴史の進行においてそれらの汚染はおおよそ確定的であり、確定的であるからこそそうした情報が下されたと見るべきであり、であるならばその予兆というものに対して敏感であるべき義務を我々は持つ。

その観点に立って今のロシアウクライナ、そして戦争をさせようとしているような米国の中の戦争企業、悪魔教教団とでも言えるような連中の全体像及び個別の座標の動きに注意深くあるべきだということを私は言うのである。

情緒感傷的であってはならない。すぐに騙される。 平静な、冷静な、冷徹な自分というものをここで見つけ出し、獲得して、それを握りしめていただきたい。

ーー記事ここから ナンバー 211

 誰よりも納得がいかなかったのは、平野自身にほかならなかった。 「怒りしかありませんでした」  得点を知った瞬間、心のうちは穏やかでいられなかった。  だが平野は、試合をそのままで終わらせなかった。  試合は3本目へと進んだ。1人また1人と終えて、残るは最終滑走の平野のみ。3本目にあたり、迷いはあった。2本目と同じ構成で臨むか、あるいは変えるか。実は大会に向けて、もうひとつの技を準備していた。横に4回転半まわる「フロントサイド1620」だ。  最終的に選んだのは2本目と同じ構成。新しい技を投入するリスクも考慮したが、何よりも、誰もなしえない構成への自負があった。 「2本目にやっていたことの完成度を高められれば(ジェームズを)上回るだろうなと思いました」  2本目を超える高さを出し、着地もより精度高く決めていく。そのたびに、悲鳴にも似た、驚嘆を含む歓声が上がる。  フィニッシュ。もはや、勝負の行方は疑いようもなかった。得点は96.00点。逆転で、ついに優勝を果たした。 「怒りをうまく、表現に変えることができました」  おさまらない苛立ちと怒りを抱えつつ、それを力に変えてみせた平野。自分自身を制御し克服したのは、強靭な精神力にほかならなかった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b13872350a91bf4aa22a58c6a76bccb05d353c4f?page=2
ーー記事ここまで

汚物の集積場であるような今回の北京冬季五輪の中で、その邪悪な薄汚い黒い海の中で、一際輝く光の座標、光点とでも言えるようなもの私は日本人選手の活躍の中に見出す。

今回特にそれが顕著だったなと思われるのが スノーボードハーフパイプにおける平野選手である。 彼は人類がいまだ成し遂げなかった前人未到の新技を次々と繰り出すことによりスノーボードというものの新しい地平を切り開いた。もちろんこの動きは男子フィギュアスケートの羽生選手にも該当する。

新しい地平を切り拓く。開拓する。つまりその先には未開の探求する新天地が広がっているという意味になる。人類は今までそういうものを持っていたにも関わらず自らそれを捨ててしまった。その概念を持って私は既存の世界のどうしようもない停滞の流れを見ていた。

なぜそうなったのか。それは儒教圏域、宗教圏域、そして少数エリート達とでも言えるような、本当に少数の座標たちが人類のほぼ全てに対して何一つ責任を負わないくせに それを矯正してきたような動き。そしてそれらの仕掛けに対して何一つきづこうとしなかった愚かを通り越したほぼすべての人類の行状行動。

そういうものが今のどうにもならない世界を持ってきてしまった、現出させてきてしまったと見るからである。

平野選手はいった。今回のハーフパイプの採点基準は明らかにおかしかった。これを明確にするべきだ。なぜならば選手は命をかけている。

と、その通りなのだ。ハーフパイプと言われている競技を見ればよくわかる。高さ5 M だとか7メートルの上空にまでジャンプしてクルクルと回転を行う。バランスを崩せば、着地に失敗すれば、それは本当に大怪我場合によっては命に関わる。命をかけているというのは間違いがない。

さらにそれらの技テクニックと言われているものを、自分の体を使って表現するために彼らは自分の人生の時間リソース、それらすべてを注いでいる。それはまた命をかけているという言い方そのものだ。

そうした全ての選手の気持ちを代わりに喋った。平野選手はそれを代弁した。という言い方になる。それは圧倒的に正しい。

ーー記事ここから デイリー 212

平野は2本目の採点についての思いを吐露。「まずは僕が思っているように、周りの人も同じように思ってくれていた。僕以上にもっと怒っている人もいたり。僕だけじゃなく、今後のスノボのジャッジの基準として、しっかり今回はどこをみていたのかという説明を聞くべきだとは思いますし、競技やっている人たちは命を張って、リスク背負っている。選手のために整理させた方がいいんじゃないか」と、問題提起した。今後のスノーボード界を思い「振り返ってみると、スルーしない方がいいんじゃないかというところはある」と、改めて語った。  ハーフパイプの採点は、パイプ上で繰り出される5~6つの技を6人の審判員が全体の印象で採点。各審判が出した得点の最高点と最低点を除いた平均点で競う。今回の事象はフィギュアスケートのように技1つ1つに得点があるわけではなく、印象が大きく左右するために起きた事象といえる。  選手の最大のリスクを抱えてやっているものに対して、もっと評価してジャッジするべき。なにか新たなシステムを、他の競技ではそういうのがあるので。大会と大会ではないものきりわけた上で、しっかりするべき時代になってきたんだと思う」と、強く訴えた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/109307bfadb909b7bcaf212888174f438bdc5733
ーー記事ここまで

北京冬季五輪だけではないが審判と言われている場所に座っている人間たちは何一つ努力をしていない。肉体を上手に動かすための努力をしていない。そういう人間がなぜ肉体を動かすことに必死になってきた人々の表現を勝手に評価することができるのか。

おかしいではないか。そう確実におかしいのだ。それらのシステムを許してきたのは我々の人間の世界にあるこの気持ちだ。権威なるものに無条件で従うという奴隷の根性だ。

そういうもの一切合切を含めて平野選手は批判をした。この部分は早急に改善されなければならないと強く訴えた。これは全く正しい。絶対的に正しい。非の打ち所なく正しい表現であり宣言だ。

全ての競技を機械的に行うということになればそこに人間的、私的恣意的な見方が不可能になる。つまり中韓北朝鮮ロシアに見られるような宗教圏域に見られるような少数の支配層に見られるような都合を実現化させるために点数を捻じ曲げるということが不可能になる。

それは三角形の支配構造を求めるような勢力にとっては、これからの新しい地球世界にネオ封建主義とでも言える差別構造、身分格差階層構造を明確に敷設しようとする勢力にとっては、実に都合の悪い概念だ。

そういうことを彼らが認めるのかということを考えてみるがいい。彼らはそれを絶対に認めようとしない。だからこの平野選手の訴えもウヤムヤにされる可能性が高い。しかしそれでも私たちは平野選手に続かなくてはいけない。

私たちは権威を求めていないと声をあげなければならない。そして知らずして権威を求めているような人々に対して、お前たちは結局のところ真実を知りたいのでもなく探究を求めているのでもなく自分の限界を打ち破りたいのでもなく、本当の本当に求めているのは権威というものに従属することによって自らのエゴを守りたい、自らのエゴを拡大したい、それらの欲望のままにあるだけの存在なのだ。

と、言わなければならない。 我々の世界における真理を探究するという言葉の意味は大きくゆがめられていた。これらの三角形のものたちに歪められていた。そういう世界の再構築とでも言える見方を私はあなたに実は求めている。大きなお世話だが実は求めている。

言葉だけで生きている連中を始末しなくてはいけない。言葉だけで他人を上手に誘導コントロールすることが、それができて当然だというふうにふんぞり返ってる連中を始末しなくてはいけない。

清算し掃除し廃棄しなくてはいけない。これからの新しい世界における人類というのは肉体の全てを使った上における表現を、それらをベースに組み立てられる社会を、これを求めている。口だけの世界ではない。

理性というただ一点の領域に連結された言語。それだけでのみ構築されている世界、世界認識というものが全体なるものすべてなるものの何もかもを表していると考えることができるようなあなたが、そういう存在がいるのだとすれば私はこの言葉を言わざるを得ない。

バカかお前は、だ。

自分自身のことを馬鹿だと気づかずにそれどころか自分自身は選ばれた存在であるとか頭が良いであるとか、覚醒するための特別な何かだとか 気の狂ったような言葉で自らのエゴを拡大し、ゴトゴトと何かを貼り付け必死になって、それもエゴなのだが、それを守るような人間が多すぎる。というか全てだ。

その自分なるものを守るというシステムがどこから来たのかということを問い詰めることもしない。そういう探求思念演算を自ら捨ててしまった。しかしこれ私は何度も言うのだが自ら捨てた以上は、それを捨てた場所を覚えているのだから再びその場所に立ち戻って捨てたものを拾い上げる、再獲得することが必ずできる。自分を取り戻すことが必ずできる。

自分を一旦取り戻したらそこから新しい自分を開拓することが必ずできる。今のあなたは今の私は今の人類は、 一方的に操られているような状態に気づいていない。

強奪の収奪の全体システムの中の歯車、歯車や部品の一つにしかなっていない。 その状態を自らの思いを刷新することによって脱する。脱却する。 その愚かな海から抜ける。そういったことの概念の現実化は始まっている。

私は平野選手のこういった表現はそういう新しい世界に向けての移動の開始の予兆。それらの表現ではないかと見ているのである。


ーー ここから 見ているものが違う ーー

私はかつてニサルガダッタの 私は在る の中だったと思うが、ニサルガダッタに対してインドとパキスタンの紛争における様々な犠牲者に関しての各種の報道に、あなたはどのように思うのか。

ということを記者が尋ねた時に、そのような事象は私の中にはない。確かこのような内容だったと思うがそれを言った。これにたいして記者が、今この瞬間にも、印パ紛争ではたくさんの人々が死んでいる、子供たちも死んでいる、それなのにあなたの心の中にはこの現実はないというのか。

という風なことを強く非難した。その上でニサルガダッタはさらにこれを答えた。

あなたはどう思うであれ私の中にはそのようなものはないのだ。確かそうした言葉だったと思う。詳細は覚えていない。こういう言葉をどのように解釈するかがその人、つまり受け取った人間にとってのその時々における境涯、メンタリティ、様々なものを表現する何かに繋がっているのだろうなと私はとらえる。

ニサルガダッタは起きた出来事、物事を情緒感傷的に見ていないという意味でそれを言ったのかもしれない。私は彼が悟りを得たとか、違う段階にいたとかであるがゆえに、人間の世界の事象とは違った見え方見方をしていたという表現を、ある程度は理解するが100%それすべてであるという言い方はしない。

人間にはテレパシー能力は基本的にはない。だから他人の内心、内側の心の状態というものは分からない。分からないからその見ている対象に対して勝手に、あの人はこのように考えているに違いない。

と決めつけてそれを含めて世界を構成している。だからその記者も、そして 私は在る を読んだような読者も、勝手に自分自身の考えた世界の中にニサルガダッタであるとか、その記者の存在を勝手に当てはめて世界を構築したにすぎない。こうした言い方しかできない。

ニサルガダッタと表層意識が本当の意味における輪廻転生のシステムの内容や、この地球霊界における詳細な事実。 これを知ってしまってる状態で、死ぬであるとか生きるであるとか戦争であるとかどうとかの本当の意味知っている、知ったからこそ そういう情緒感傷的な概念は私の中にはない。

と、その観点で彼は何かを喋ったのかもしれない。色々な解釈があるはずだ。私が危惧するのはそうした解釈権と言われているものを、特にこうした事例が精神世界に関わるものであれば、自分が精神世界の探求者だ、または自分が精神世界の開拓者だ、という風に自らを演出し外界にもそのように認識させているような奴らが、それらの解釈権は自分の中にしかないので従え。

とでも言えるようなことを明確に仕掛けてくることだ。私はそれが気に入らない。 精神世界の連中というのはそういう部分が、自分の中にそういう人々を従わせようとする部分が、コントロールをしかけようとする部分が強くあるということに全く気付いていない。恐るべき鈍感さだ。

私は断罪されるべき愚か者だ。現世の金と欲望とエゴにまみれている愚かを通り越した邪悪な存在だ。しかしそのわたしを断ずるかのような表現をする精神世界の方々、と言われるものは別ではないのだ。

この地球霊界というものの内側の中に表示されている全てというのはみんなどうしようもない。それらの概念を彼らは彼女たちは一旦は受け取ったふりをしていながら、それでも多くを裁く。それでは同じことの繰り返しだ。なぜそれをわかろうとしないのか。私にはその理由が何となく分かっている。

彼らの目的というのが自らと世界の進化にあるのではないからだ。魂の向上や、実存に接近するなどなどでは全くないからだ。

彼らはこの世界に混乱、焦燥、葛藤、怒り悲しみ絶望をもたらし、それを発生させ、そういうことを発生させた後にそれを自動的に吸い取り奪い、どこかに送信するそのシステムの一部として生まれてきた。

だから覚醒とかを目指すであるとか、高いレベルの人とかであるキャラ。こういうものの中にも相当に、そうした技能士技術士現場の炭鉱夫とでも言えるようなパーツが山ほど隠れている。私はその観点であの領域を見るし、世界全体を見る。

世界の全ては皆等しくどうしようもない。レベルが低い。効率が悪く非効率そのもので今まで動いてきたし、動かされてきた。

私の言ってるようなすべての疑念や疑惑はそういうところにある。 だから自称、もののわかった人たちが言っている言葉としての、情緒的にどうだとか覚醒的にどうだとか運命の改善がどうだとか そんなことは一切聞いていない。それは愚か者の馬鹿の戯言だ。それ以下のものだ。価値がない。 私の見えている世界はそうだ。

だからそういう観点も物差しとして使った時にニサルガダッタの言葉をもう1回あなたは見返してみることだ。

こうしたものすごい決めつけも私は出来るのだ。 バカと話している時間はない。彼はこう言ったかもしれないのだ。

もちろんこれは彼に対する侮辱に見えるかもしれない。しかしそんなことは分からない。観測者と言われているもののレベルが低ければ低いほど、そうした暴虐、侮辱に見える言葉を使って世界を構築する。

それしか世界を再現する術がない。 世界を変えろ世界を止めよ。というのはその世界を構築する際に、もっている選択肢を増やす、新たな選択肢を獲得する、そういう見方も必ずある。

そうした様々な考え方で私は世界なる物を勝手に、一方的に常に見ている。だから私は常に間違っている。なぜ私のような文章であるとか言葉を聞くのか。それはあなたが間違っていることを求めている痴れ者だからだと決めつけざるを得ないのである。


  愚か者の海を抜けよ   それが私たちの全ての課題だ。


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